しん

述而第七

【論語】述而第七30「陳の司敗問う、昭公は礼を知れるか」

述而第七30「陳司敗問、昭公知禮乎」についてです。これは孔子が間違ったことを言ってしまったということでしょうか。それを指摘されたことを喜んでいるようです。
雍也第六

【論語】雍也第六30「如し博く民に施して、能く衆を済うもの有らば」

雍也第六30「如能博施於民、而能済衆者」についてです。他人を第一に考えるのが仁者の在り方のようです。自分のことだけでも手一杯なのに他の人の事も考えるとなるとなかなか難しい事ですね。
衛霊公第十五

【論語】衛霊公第十五29「人能く道を弘む。道人を弘むるに非ず」

衛霊公第十五29「人能弘道、非道弘人」についてです。これは哲学にも続く章句ですね。人が道をつくる。道が人をつくるのではない、、、難しいです
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憲問第十四

【論語】憲問第十四29「君子は其の言の其の行に過ぐるを恥ず」

憲問第十四29「君子恥其言而過其行」についてです。これも君子論です。言葉が過ぎるのはよくないということですね。言行一致ということでしょう。
子路第十三

【論語】子路第十三29「善人、民を教うること七年ならば」

子路第十三29「善人教民七年、亦可以即戎矣」についてです。「戎に即かしむ」難しいことばですね。戦争に行かせるという意味ですが、善人による7年の教育が必要としています。
子罕第九

【論語】子罕第九29「歳寒くして、然る後に松柏の彫むに後るるを知る」

子罕第九29「歳寒、然後知松柏之後彫也」についてです。転じて、苦難にあってはじめてその真価に気づくことができるというものです。
述而第七

【論語】述而第七29「仁遠からんや。我仁を欲すれば、斯に仁至る」

述而第七29「仁遠乎哉、我欲仁、斯仁至矣」についてです。なるほど、仁は求めれば近くにあるものなのですね。しかし仁の実践は難しいというわけです。
雍也第六

【論語】雍也第六29「中庸の徳たるや、其れ至れるかな」

雍也第六29「中庸之爲徳也、其至矣乎」についてです。中庸とは程よくあるということ。要はバランスが良い状態です。これが一番大事だと言ってますね。
衛霊公第十五

【論語】衛霊公第十五28「衆之を悪むも必ず察し、衆之を好むも必ず察す」

衛霊公第十五28「衆惡之、必察焉、衆好之、必察焉」についてです。自分で確認もせずに大衆に迎合することはよくないということですね。
憲問第十四

【論語】憲問第十四28「君子は思うこと其の位より出ず」

憲問第十四28「君子思不出其位」についてです。余計なことは考えない、自分の職責だけを全うするのが君子だということですね。
子路第十三

【論語】子路第十三28「何如なるを斯れ之を士と謂うべきか」

子路第十三28「何如斯可謂之士矣」についてです。士の在り方について子路が尋ねています。孔子はどのように答えたのでしょう。
子罕第九

【論語】子罕第九28「忮わず求めず、何を用てか臧かざらん」

子罕第九28「不忮不求、何用不臧」についてです。なかなか奥の深い言葉です。善くないことが起きないことを期待するより、もっと善くあろうと奮闘するのも大事だということですかね。
述而第七

【論語】述而第七28「人、己を潔くして以て進まば、其の潔きに与せん」

述而第七28「人絜己以進、與其絜也」についてです。ガラの悪い土地に居るからといって、そこの人がみな悪い者だと決めつけるのはよくないですね。その中でも一生懸命前に進もうとする人をみて救ってあげようと思うのが仁の心なのでしょう。
雍也第六

【論語】雍也第六28「夫子之に矢いて曰く、予が否らざる所の者は、天之を厭てん」

雍也第六28「夫子矢之曰、予所否者、天厭之」についてです。南子というのは衛霊公の夫人だそうで、あまりお上品な方ではなかったようです。それが子路には気に入らなかったのでしょう。
公冶長第五

【論語】公冶長第五28「十室の邑、必ず忠信丘が如き者あらん」

公冶長第五28「十室之邑、必有忠信如丘者焉」についてです。ちょっと自慢げですね。今風で言うとマウント的な発言でしょうか。まぁそれだけ自信をもって言えることでもあるのでしょうね。
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