論語|八佾第三

論語|八佾第三 八佾第三

八佾第三01~26を紹介します。

八佾第三

【論語】八佾第三26「上に居て寛ならず、礼を為して敬せず」

八佾第三26「居上不寛、爲禮不敬」についてです。上に立つ者は寛容さが大事。礼儀は敬意があってこそ。喪に服するときは心から悲しみを現わす。そうでない人間は見どころがないということですね。
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【論語】八佾第三25「子、韶を謂う、美を尽くせり、又善を尽くせり」

八佾第三25「子謂韶、盡美矣、又盡善也」についてです。孔子の時代において、詩や音楽についても造詣が深いというのは教育者としてひとつの大事な素養だったのでしょう。
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【論語】八佾第三24「儀の邦人見えんことを請う」

八佾第三24「儀封人請見」についてです。儀の役人さんは見る目があったということでしょうか。孔子が優れた指導者であることを門下生に語っています。
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【論語】八佾第三23「楽を語りて曰く、楽は其れ知るべきなり」

八佾第三23「子語魯大師樂曰、樂其可知也」についてです。たまには音楽について語る事もあったようです。多事に精通していてこそ博学といえますね。
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【論語】八佾第三22「管仲の器は小なるかな」

八佾第三22「管仲之器小哉」についてです。管仲という人物について孔子が語っています。管仲というのは大夫という身分でありながら、それ以上の振る舞いを行っていたことから、孔子が礼を知らない人物だと言っているのですね。
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【論語】八佾第三21「哀公、社を宰我に問う」

八佾第三21「哀公問社於宰我」についてです。失言は取り消せないし、過ぎた過去は変えられない。だから慎重にことを起こさなければいけないという教訓でしょうかね。
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【論語】八佾第三20「關雎は楽しみて淫せず」

八佾第三20「關雎樂而不淫」についてです。詩経の「關雎」についての感想ですね。
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【論語】八佾第三19「君、臣を使い、臣、君に事うるには」

八佾第三19「君使臣、臣事君、如之何」についてです。礼と忠は大事ですね。君臣のあいだでも重要な要素だったのだと思います。
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【論語】八佾第三18「君に事うるに礼を尽くせば、人以て諂いと為す」

八佾第三18「事君盡禮、人以爲諂也」についてです。人の意見と言うのは得てして妬みや嫉みが多いものです。真っ当に仕えていても、傍からは諂いだと言われるのは困ったものです。
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【論語】八佾第三17「子貢、告朔の餼羊を去らんと欲す」

八佾第三17「子貢欲去告朔之餼羊」についてです。これもまた難しいお話です。子貢の考え方も分かりますが、孔子のように礼を重視するのも大事なことだと思います。
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【論語】八佾第三16「射は皮を主とせず」

八佾第三16「射不主皮、爲力不同科」についてです。弓を的にあてることは礼としては第一の目的ではなかったのですね。古いしきたりや礼については色々と学ぶべきことが多いです。
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【論語】八佾第三15「子、太廟に入りて、事毎に問う」

八佾第三15「子入太廟、毎事問」についてです。礼の在り方について孔子が語っています。まずは前任者にたずねることが礼の作法だということですね。
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【論語】八佾第三14「周は二代に監みて」

八佾第三14「周監於二代」についてです。周の国家文化は二代にわたる礼楽を参考にし非常に立派なものだそうです。それに習おうというのが孔子の思想なんですね。
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【論語】八佾第三13「其の奥に媚びんよりは」

八佾第三13「與其媚於奧」についてです。どれほど神に祈っても、罪を犯してしまってはすべて無駄になるという戒めですかね。
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【論語】八佾第三12「祭ること在すが如くす」

八佾第三12「祭如在、祭神如神在」についてです。祭事の執り行い方や心構えについて孔子が述べてます。どのようなものなのでしょう。
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