論語|子張第十九

論語|子張第十九 子張第十九

子張第十九01~25を紹介します。

子張第十九

【論語】子張第十九25「君子は一言以て知と為し、一言以て不知と為す」

子張第十九25「君子一言以爲知、一言以爲不知」についてです。陳子禽という人が子貢に「君は孔子より優れているんじゃないの?」と言いますが、子貢はそれを否定し、孔子の徳には遠く及ばないと返しています。
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【論語】子張第十九24「仲尼は日月なり、得て踰ゆる無し」

子張第十九24「仲尼日月也、無得而踰焉」についてです。孔子の弟子であった子貢からしてみれば侮辱されたように感じたかもしれませんが、孔子はそれほどまでに偉大な存在だったということでしょう。
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【論語】子張第十九23「叔孫武叔、大夫に朝に語りて曰く」

子張第十九23「叔孫武叔、語大夫於朝曰」についてです。子貢も謙遜してはいるのでしょうが、それでも孔子との隔たりを感じさせる章句ですね。偉大です。
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【論語】子張第十九22「賢者は其の大なる者を識り、不賢者は其の小なる者を識る」

子張第十九22「賢者識其大者、不賢者識其小者」についてです。優れた教えはいつまでも残り続けるので、そこから学ぶことができる。孔子もそうした先人たちの教えを紐解いていくことで教養を身につけていったのですね。
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【論語】子張第十九21「君子の過ちや、日月の食の如し」

子張第十九21「君子之過也、如日月之食焉」についてです。これもまた分かり易い君子論ですね。
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【論語】子張第十九20「紂の不善は、是くの如くこれ甚しからざりしなり」

子張第十九20「紂之不善、不如是之甚也」についてです。君子たるものは堂々と振舞ってこそでしょう。下流に身を置けばやはりよくない人物とみなされても仕方ありません。
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【論語】子張第十九19「孟氏、陽膚をして士師たらしむ」

子張第十九19「孟氏使陽膚爲士師」についてです。世情が厳しい時には犯罪も多くなりがちですが、それを捕らえていい気になるのはよくないと言うのですね。世の中を正しく導くのが本来の筋なのでしょう。
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【論語】子張第十九18「孟荘子の孝や、其の他は能くすべきなり」

子張第十九18「孟莊子之孝也、其他可能也」についてです。
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【論語】子張第十九17「人未だ自ら致す者有らず」

子張第十九17「人未有自致也者」についてです。確かに感情をさらけ出すのはなかなかある機会じゃありませんね。親の喪であればそれもまたありでしょう。
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【論語】子張第十九16「堂堂たるかな張や」

子張第十九16「堂堂乎張也」についてです。子張もすぐれた人材だと思いますが、曾子が言うにはまだ共に仁をなすには至らないということです。それほど仁の実践は難しいのですね。
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【論語】子張第十九15「吾が友張や、能くし難きを為す」

子張第十九15「吾友張也、爲難能也」についてです。なかなか厳しい評価ですね。それだけ仁者になるのは難しい事なのでしょう。
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【論語】子張第十九14「子游曰く、喪は哀を致して止む」

子張第十九14「子游曰、喪致乎哀而止」についてです。確かに言う通りでしょう。悲しに暮れることも大事。
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【論語】子張第十九13「仕えて優なれば則ち学ぶ」

子張第十九13「仕而優則學」についてです。子夏のことばですね。仕官することも学問することも余力があれば行うのがよいと言っています。
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【論語】子張第十九12「洒掃応対進退に当たりては」

子張第十九12「當洒掃應對進退」についてです。ものを教えたり、教わったりするのにも順序があると子夏が言っています。はたしてどのようなことなのでしょう。
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【論語】子張第十九11「大徳は閑を踰えず」

子張第十九11「大徳不踰閑」についてです。なるほど、これはなかなか面白い解釈かもしません。論語にもこのような話があるのですね。
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